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美しさにまごころこめて
受賞作品を読む
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優秀賞の作品は、抜粋版となります。
神奈川県 守田みどり様/愛知県 髙松幸奈様/
北海道 徳重明美様/埼玉県 今井理恵様/
福島県 えり様/
愛媛県 ゆっきー様/
岐阜県 めいママ様/奈良県 中司裕子様/
佐賀県 青木富美子様/長野県 前田ひとみ様
※本企画は65周年を記念し、メナードとの思い出をご紹介する趣旨であり、商品の効能効果を訴求するものではありません。
大阪府 劇団活動主宰 様
「色が白くて、お肌が綺麗ね」その様な声かけをしてくださる方がいます。お世辞と解っていても、まんざらでない自分がいます。農家育ちで畑作業に駆り出されても、日焼対策もしません。当時のあだ名は「マメちゃん」。小柄でポッチャリして可愛いから、そんな愛称で呼んでくれるんやと自分勝手な解釈をしていたら、名付親のオジサンが「信楽焼の豆狸や、トックリ持ったらそっくりや」。その言葉にショックを受けた青春時代、その後、メナード化粧品との出会いがあり、自分で云うのも憚られますが、キメの細かい白い肌を得ることが出来ました。私を豆狸よばわりしたオジサンに会えたら、どんな顔をして何と云ってくれるでしょうか。ひとり悦に入って笑っています。私はメナード化粧品から自信とパワーをいただきました。その力で人前に立っても堂々と意見発表が出来ます。84歳になった自分に日々叱咤激励して、人生を満足出来るように生きています。
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愛媛県 マーシャ 様
祖母の代から我家はメナード。祖母も母も、朝から晩まで外で働いていましたが、夜、化粧を落とす時、なめらかな上質のクリームに包まれて、
祖母の代から我家はメナード。祖母も母も、朝から晩まで外で働いていましたが、夜、化粧を落とす時、なめらかな上質のクリームに包まれて、女性をとりもどしていたのかもしれません。私も、今、メイクを落としながら、フッと祖母や母の姿を思い出し、同じように手を動かしています。祖母も母も今では他界して会うことは出来ませんが、メナードを手にする数分間、二人は、私の中に生きています。
女性をとりもどしていたのかもしれません。私も、今、メイクを落としながら、フッと祖母や母の姿を思い出し、同じように手を動かしています。祖母も母も今では他界して会うことは出来ませんが、メナードを手にする数分間、二人は、私の中に生きています。
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新潟県 阿部美奈子 様
「今日も眉毛キレイに描けたね」と91歳の患者さんに医師が声を掛けていました。私は看護師です。毎日眉を描いている姿に生きる意思を感じたと医師は言いました。そこから私は化粧と真摯に向き合い始めました。眉メイクが苦手で左右対象に描けず苦戦の連続。そんな時メナードのアイブロウペンシルを紹介してもらいました。持ちやすく長さも重さも丁度よいペンシルに感動でした。化粧することは生きる証。生きることは楽しむこと。眉メイクから始まった化粧習慣で、心豊かに楽しく暮らせています。
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千葉県 リリー 様
友達に「肌が綺麗だね、何使ってるの?」と聞かれ「母が送ってくれる化粧品だよ」と答えると「その化粧品が合ってるんだね。お母さんに感謝だよ」と言われ、私の悩みに応じて母が買ってくれていたこと、それがメナードだったことを知り、感謝の気持ちと共に、美容を学ぼうと人生の転機ともなりました。
友達に「肌が綺麗だね、何使ってるの?」と聞かれ「母が送ってくれる化粧品だよ」と答えると「その化粧品が合ってるんだね。お母さんに感謝だよ」と言われ、私の悩みに応じて母が買ってくれていたこと、それがメナードだったことを知り、感謝の気持ちと共に、美容を学ぼうと人生の転機ともなりました。月日が経ち私も46歳
…
月日が経ち私も46歳
…今は薬用ラインズリセットが手放せない歳になりました。
74歳になる母とは今でも美容談義に花を咲かせています。
今は薬用ラインズリセットが手放せない歳になりました。74歳になる母とは今でも美容談義に花を咲かせています。
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メナードさんとの出逢いで
「お手入れ」に目覚めて。
母と私と娘、三世代を繋ぐ
「マッサージ」のこと。
表紙が物語る
時代を映す「美」。
Profile
(1952年生まれ)
1967年デビュー。映画、舞台、テレビ、歌と活動の場を広げ、日本アカデミー賞など数々の賞に輝き、紫綬褒章も受章。ドラマ「らんまん」で主人公の祖母役を好演したことで、2023年12月、高知・牧野記念財団理事に就任。
14歳で劇団に入り、
19歳で銀河テレビ小説、
20歳で大河ドラマへ。当時の撮影の照明は映し出す技術を補うためにそれはもう強烈で、ハレーション止めのためにドーランを厚く塗っていました。そんな頃、メナードさんに専属契約をいただいたのです。初の広告撮影の時、メイクの前に、「マッサージ」をしていただき、とても感動したことを覚えています。リズミカルなマッサージが、肌と心をゆっくりほぐしてくれて
…。この体験は私の「お手入れ」に対する目覚めにもなりました。今でも仕事先のメイクさんにマッサージクリームを預け、お化粧前に血行促進をすることが
50年以上欠かさない大切なルーティーンになっています。
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ある日、95歳だった母(故人)の顔にも「マッサージをしてあげよう」とひらめいたんです。マッサージクリームを持参し、香りを楽しみながらゆっくりゆっくりマッサージをしてあげると「きれいになったらどうしましょう」と言いながら、それは喜んでね。今でもあの時のうれしそうな顔が忘れられません。そして、近頃ではお風呂上がりに娘たちと肩を並べ、手順を教えながら一緒にマッサージやパックをすることもあるんですよ。そんな様子もなんだか楽しくて、会話も弾んじゃいますね。メナードさんの化粧品は、母と私と娘、三世代の「大切な思い出」として更新しています。
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「美」の基準って、時代、時代を反映していると感じています。私にとって、メナードさんとの思い出の一コマに、その時代の顔を演じたパンフレットの表紙があります。例えばウーマンリブやバブル時代、ナチュラル志向だった頃、眉やリップの描き方も今とは全く違ったでしょう。つまり、お化粧って時代と共に変化して、その時代の「美」を彩るものだと思っています。メナードさんを通じお化粧のパワーに
「美」の基準って、時代、時代を反映していると感じています。私にとって、メナードさんとの思い出の一コマに、その時代の顔を演じたパンフレットの表紙があります。例えばウーマンリブやバブル時代、ナチュラル志向だった頃、眉やリップの描き方も今とは全く違ったでしょう。つまり、お化粧って時代と共に変化して、その時代
触れ続けて半世紀余り。これからの自分も楽しみですね(笑)。
の「美」を彩るものだと思っています。メナードさんを通じお化粧のパワーに触れ続けて半世紀余り。これからの自分も楽しみですね(笑)。
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